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阿嘉島のグスク


 阿嘉島にはグスク関連の地名が3ヶ所ある。天城(アマグスク)と積城(ツングスク)島とグスク山である。
 沖縄県教育委員会発行の「ぐすく」によると、阿嘉島のグスクは「グスク山」の記事があり、「ツングスク」はグスクとして認知しているようだが、潮流の関係で調査に行けなかったようで、簡単な紹介に留まっている。「座間味村史」でも「グスク山」と「ツングスク」は紹介されているのみで、両者ともアマグスクについては触れていない。一方、「角川日本地名大辞典沖縄編」引用の仲松弥秀作成グスク分布図によると阿嘉島のグスクは「グスク山」「アマングスク」「ツミシルグスク」の3つが紹介されている。「アマングスク」は「天城」のことで「ツミシルグスク」は「積城」を指すことは間違いなさそうだ。以下、仲松弥秀の表記に従い紹介する。

1 グスク山 
 グスク山は「座間味村史」によると阿嘉部落の北側に控える山のことで、山の頂上にはいくつかの平場があり、グスクの姿を留めているのでグスクとして扱うとのこと。逆に言うと地元ではグスクとしての呼称はされていないのかも知れない。管理人が阿嘉島にいたときもここは御嶽であってグスクいう話は聞かなかった。もっとも、そんなに聞き込んだわけではないので、グスクと呼んでる人もいたのかも知れない。「座間味村史」によると阿嘉小中学校体育館脇の林道を上っていくと頂上に達し、そこは平坦で祠があるという。「ぐすく」では祠の写真が紹介されている。今は阿嘉島を縦断する道路を北上し、中岳展望台手前の分かれ道を右折して少しすると平場に到達することができる。
 仲松弥秀の分類では御嶽とされているように、管理人が地元で聞いた話でも御嶽だとのこと。霊力が強い場所らしく「マブイ抜かれるぞ!」何て言われたりもした。平場までは実際に行ったが、祠があると思われる場所は草が生い茂っていて不気味だったので中には進入しませんでした。何故御嶽として扱われるようになったのかは、「座間味村史」を見ても、新しく神人になる婦人に対する審査場であったと伝えられると書いてあるのみではっきりとは分からない。遺物も採取されなったようではっきりとした性格は掴めてない模様。集落の先祖の墓があるとか、先祖の居住地だとか、按司が住んでいたという話は文献でも地元の話でも見聞きしませんでした。渡嘉敷島と同様に種取り祭の神が舞い降りる場所だったとか、集落で祀る神の通り道上にあったとかそういう類でしょうか?「琉球国由来記」記載の座間味村の御嶽は座間味島も阿嘉島も山岳の頂上にあるように思われるので、一種の山岳信仰でしょうか?これ以上は何とも分かりません。
 ちなみに、グスク山は沖縄埋蔵文化財センター提供の遺跡分布地図情報システムでは、中岳展望台より手前西側を指し示していますが、多分間違いじゃないかと思われます。管理人の記憶では確かに指し示す位置付近に道はあった気がしますが、グスクらしきものはなかったはずですし、他の文献で説明されている場所と食い違うように感じます。上記地図は詳細に場所を示してくれるので大変ありがたいのですが、ちらほら間違いまたは不正確な位置を示している場合が見られるので、今回も間違いじゃないかと思われます。センター側としては参考にした原本自体が間違えてるんだよ!という言い分が大いにありそうですが・・・。

2 ツミシルグスク
 仲松弥秀はツミシルグスクと表記していますが、「ぐすく」や「座間味村史」ではツングスク(積城)と表記している。チングスクと説明しているサイトもありますが、沖縄方言において積むは「ツン」とも「チン」とも発音するのでどちらでもいいと思います。地名としては現在、積城島という名前で残っている。
 管理人は阿嘉島にいたときにここはグスクだと知らなかったので、訪れませんでしたが、島には野面石垣と切岸が残っているというい。「座間味村史」によると、座間味村は唐との貿易に携わる者が多かったために財宝目当ての外冠が多かったので、それを防ぐために築かれたのであろうとのこと。実際に訪れたわけではないので何とも言えないが、墓や拝所といった機能は感じられない(集落から海を隔ててすぐ近くにある島という点では死者の島である奥武島的な要素はあるが)。築城自体は14~15世紀のようだが、当時からグスクと呼ばれていたのかは謎である。
 ツミシルグスク名の由来は、積という漢字の通り石を積んでできたグスクという意味と思われます。沖縄各地存在するツン(チン)マーサというのは石を積み上げて出来た目印・標識のことを指すので、それと同じではないかと。
 なお、沖縄県立博物館紀要第21号「離島の小規模グスクについて」當眞嗣一にも詳しい。

3 アマングスク
 「ぐすく」にも「座間味村史」もこのアマングスクについては何も触れられていない。しかし、仲松弥秀作成表には拝所としてこのアマングスクの名前が出てくる。島の人に聞いても、石垣はないからグスクなんかないよという微妙な答えが返ってきたが、グスクに石垣は必須ではないので、これをグスクと扱っても何も問題はないと思われます。ここは天城展望台という名前がある通り、丘陵地帯を天城(アマグスク)と呼んでいます。そして、展望台駐車場手前と奥に拝所があるように拝所としてのグスクでしょう。展望台からは久米島方面から渡嘉敷方面と広く見渡せるから、南西諸島に広くある海部族由来(と管理人は考える)の(恐らく見張所としての役割がある)グスクでしょうね。
 ちなみに、昭文社の地図(2009年夏までに発刊分)では天城展望台の所にサクバル城跡と書かれていましたが、間違いです。ここも含めて沖縄のグスクについて名称・場所に間違いが散見されましたが、問い合わせたら直すとのことです。2010年版からは直ってると思います。

4 御嶽について
 御嶽については阿嘉島には「琉球国由来記」によるとコバウ御嶽・スズキヨ御嶽・仲森御嶽がある。位置については上記辞典によるとそれぞれ久保岳・グスク山・大御嶽を指しているように見える。とは言っても、かなり大雑把な地図なので断言は出来ない。久保岳はクボーの当て字と思われるし、そもそもクボーとはクバ(ビロウ)を指す。また、コバウ御嶽のコバウもクボーの変化形と思われるので、久保岳を指すものと見てほぼ間違いないと思われる。以上御嶽については単なる山岳信仰なのか、それを超えて拝所の類があるのかまでは文献として見つけることはできなかった。現在島内に数ある御嶽については琉球国由来記編纂以降に出来たものなのかも知れない。

 
 グスク山については阿嘉集落から中岳展望台への道の手前を右折して少し行けば着く。徒歩だと集落から30分はかかると思います。
 ツミシルグスクはサクバル奇岩群の中で南側にある。砂白島を越えて行かなければならないので干潮時でないと行けないでしょう。なかなか難しそうです。
 アマングスクは集落の西端から歩いてすぐです。

アマングスク

グスク崖下  
   
グスクを遠方より臨む。 崖下にはお墓や拝所がある。この点、近辺はかつて先祖の居住地であった可能性を示しているかも。
   
山側へ近づいてみる。 上がアマグスクになる。 
   
確かに石積み等らしきものはなかった。 龕屋かな?龕とは遺体を運ぶ輿です。
  天城展望台駐車場奥の御嶽
   
展望台駐車場から奥への道。展望台と間違えてこちらの道を行く人がたまにいます。 駐車場の一角。何となくグスクっぽい遺構はないかと探してみましたが、らしいような違うような? 
   
御嶽です。名前は分かりません。 海をバックに配置されています。 
   
久場島が丁度見えます。関係があるのかも知れません。 こちらが展望台への道です。夜だとちょっと怖いかも。 
   
展望台の途中に獣道と思しき跡があったので進んでみた。だが、険しくなってきたので引き返しました。先には何かあるかも知れません。 展望台よりグスク側を臨む。 
天城展望台駐車場手前の御嶽  
   
展望台への道の反対側をよく覗くとあります。 厳かな雰囲気を醸し出しています。何となく御嶽の右側は降りれそうな気もしましたが止めておきました。 

積グスク

   
遠く先にあるのがグスクになるのでしょうか?形状からして按司の居住地とかではなさそうな気がします。 サクバル奇岩群より右側。こちらはグスクではありません。

グスク山

   
遺跡分布詳細地図ではこちらの方にグスク山があるとのこと。ただし、記憶が若干不正確なのでそもそもこの道ではないかも。 アグの浜への道と違って舗装されていません。
   
クワズイモかな?確かそれ以外には畑と何かしらの施設があっただけの気がします。 ここがグスク山の平場だと思われます(多分)。写真左側には獣道が存在していましたが、残念ながら先には進入しませんでした。でも、本当に祠があるのかな?