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御殿の鼻(金比羅宮)

 
 御殿の鼻は、現地の看板や「喜界島みてある記」によると、琉球王尚徳が喜界島征伐をしたときに、島軍の本陣があったところだという。
 1466年(文正元年)尚徳王時代に王は、自ら兵2000余人とともに喜界島討伐にきた。島軍の守備は堅く、王軍の上陸は阻まれた。とある大雨の夜に、王具運は兵を二分して、一隊は荒木から、もう一隊は湾港から上陸して合戦となった。島軍は両方からの挟み撃ちにあい敗走した。島軍の首領は長嘉という人であったが、捕らえられて首をはねられたという。
 この場所は、ノロが集まって祭祀を行う場所でもあるという。
 金比羅宮の由来については、手持ちの資料が少ないので不明である。ただ、喜界島観光協会のサイトより神社仏閣一覧を見ると、祭神は崇徳天皇であり、漁業・航海守護の神を祀っているという。
 訪れた感想は、鼻という岬地名の割にそれらしさはあまり感じなかった。昔とは大分地形が変わってしまったのだろうか。
 奄美大島で聞いた話では、尚徳王が喜界島に攻め入ったときは、向かいの笠利にある辺留グスク近辺に兵を集めていたのではないかとのこと。地形的に隠れやすく喜界島からは様子を窺うことができないという。そして、湾まで最短ルートで行けるという。何だか説得力のある話ではある。


   
県道沿いから撮影。  上記のようなことが説明されています。 
   
ご神体。 敷地。ヤシの木が生えています。右側のはビロウっぽいが、左のは何でしょうかね。ヤエヤマヤシ?