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義本王の墓

 
 義本王とは沖縄最初の実在王統舜天の孫に当たる人物で、1249~1259年に在位した王である。義本王は在位11年54歳のときに退位して英祖に王統を譲ったが、伝承では即位の翌年から飢饉や疫病が起き、それは自分の不徳から来るものだと恥たからだと言われている。もっとも、実際は英祖が義本王を追放したというのが真相な気もします。その後、「中山世譜」などによると、退位後の行方は不明とある。
 現在はこの辺戸にあるのが義本王の墓だとして伝わるが、「国頭村史」によると、義本王の墓と伝わるのはこの辺戸以外にも伊地・佐手・中城村仲順と4つあり、また喜界島へ隠れたという伝説もあるという。「国頭村史」によると、佐手はテイチバーと呼ばれ、近年調査がされたが、名だたる者の墓と推測される物は発見されなかったという。中城村仲順の墓とされる場所も管理人は訪れたことがあるが、伝承として伝わるのみで墓自体は近年に作られたものだという。
 この辺戸の墓も明治初年に尚家が作らせたもので、現在ここを管理するのは義本王と縁があると言われる佐久真家だという。
 いずれにせよ、これらの伝承・記述からは遺骨が発見されているわけでもなく、義本王縁の地に関係者が後世になって作ったというだけの話のようである。


   
辺戸の義本王の墓は国道沿いの辺戸集落より少し北側になります。 入口からは墓まではすぐです。
   
「文化財 義本王之墓」とあります。 これが墓。ヒンプンもあります。 
   
壁です。  これが墓。沖縄のよくある墓とは趣が異なります。中には棺が納められているらしい。 
   
更に近くから。 苔がむしています。