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新川グスク

 
 「ぐすく」によると、津堅小中学校北東50mにある標高35mに所在するのが新川グスクになる。仲松弥秀の分類によると、墓地になっている。「津堅島の記録」によると、かつては石垣囲いや洞穴に人骨が散乱していたが、日本軍が移動させてしまったという。現在、グスク全体は破壊され、そこには慰霊の塔が立っている。
 グスクの南側にアラカーという井があることから、それが語源であろうか。なお、アラカーは産井であり、死者を洗う井でもあるという。
 左記地図は展望台の位置を指していますが、大体この周辺が新川グスクとなります。


   
津堅小中学校側からの入口  標が立ってて、いつ作ったか分からない階段があります。 
   
地元ではアラカーグシクと言うようだ。 階段があるので登りやすい。 
   
慰霊碑 戦没者一覧を見ると本島中部の名字が多いです。勝連・与那城辺りの名字もちらほら。
   
展望台へ。 展望台です。あまり手入れはされていないのだろうか。 
   
何も見えん・・・ 展望台の脇から更に進めます。 
   
  拝所になっている。
   
多分ここら辺に人骨があったんだろうか。 記念碑。管理人の教養が足りないため、左側の二文字が読めません。○道?下には初代沖縄開発庁長官という名前が見える。
   
よく分からないオブジェ。確か公民館跡地にあったはず。新川グスクより北側にあります。ここまで来るともうグスクの範囲外な気がしますが、ついでに紹介します。 左記の後方には道があります。 
   
公民館跡地入口 公民館であったことが分かる入口の文字。 
   
跡地近くに何やらあります。 左が津堅親方之墓で右側が津堅ペーク之墓と書いてある。同一人物を指すような気がしますが、勘違いでしょうか?ちなみに、島北東側にあるペークーガマに住んでいた人です。