ハイヌミカゼHome津堅島

津堅

 
 島内で唯一の集落がこの津堅集落になります。人口は平成21年度の調査では563人と離島にしては多い方でしょうか。
 集落の歴史は、島の東部に貝塚があるように昔から人は住んでいたようです。「遺老説伝」には、中城間切喜舎場村出身の喜舎場子という者が島立てをしたという話が載っているようです。彼が苦労の末島に着いた時、「チキタン(着いたぞ)島に」と口走ったことから、この島を津堅島(方言ではチキンと発音する)という伝承がある。もっとも、その頃には既に人が住んでいたとも言われる。
 島の集落は島の南西部にあるが、これは島の最高地点である国森一帯周辺の崖にしか井戸といった水源がなかったことによる。最初は国森周辺に集落が点在していたのが時代を経るに連れ、傾斜地の下側にも集落が出来るようになった。
 行政上は現在は津堅のみだが、かつては津堅村と神谷村に分かれており、「琉球国由来記」には神谷村の名前が見える。「津堅島の記録」によると、島には殿が一つしかないこと等から、マキヨ(村落発生以前の血縁集団)は一つであったのが、後に外部的理由により二つの村落に分かれたのだろうとのこと。


     
港から集落への道 津堅幼稚園&小中学校  頌徳碑。根神輝夫先生とある。随分と神々しい名字ですね。その名の通り根神(祭祀を執り行う者)の出自だろうか。 
     
小中学校 集落内風景  同じく 
     
もはや集落のどこで撮影したか記憶が薄い。   津堅島イモゾウムシ等根絶事業推進会議とある。
     
  アサトストアー。確か港から東側に行けばすぐあった。 「此の麗しき津堅島に 父よ安かれ母も待て 学びの業の成る時に 錦飾りて帰る迄」とある。 
     
島北西部 先に行けばクボウグスクなどがあります。  再び学校敷地が見える。 
     
マンホール。ニンジンです。  確か集落北部にあった拝所。  何になるのかなぁ。火の神っぽい。 
     
確か上記拝所付近    診療所 
     
拝所 簡易郵便局  アイリーペンションとある。
     
津堅構造改善センター 集落南側。こちら側の歴史は浅いようです。 南原旅館 
     
商店(多分)  同じく商店(多分)