ハイヌミカゼHome与路島

与路

 
 与路集落は島で唯一の集落になります。
 人口は137人(平成17年時)になるようです。今はもっと少ないのかも。島全体の人口と考えると少ないですが、加計呂間島や請島の集落と比較すると、まだ多い方と言えます。
 集落は大きく二つに分かれ、公民館を境に南側をカネク(カンコ)といい、北側をサト(サトホ)という。更に、カネクは北東区画をナーボラリ、西区画をグスコ(ゴスコ)といい(南東区画は不明、カネク以上の細かい区分けはないのか)、サトは西側をウーサ、北東側をナンゴという(こちらも南東区画は不明)。カネク一帯をゴスコ・ゴスコブラリという場合もあるようだ。以上の区画は「与路島ノート」に従う。
 もっとも、住民によって認識が違うのか、「奄美加計呂間島のノロ祭祀」ではグスコ・サトの範囲が微妙に違うように見える。これによると、カネク地区の南半分がグスコとなっているようにも見える。また、サト地区とナンゴ地区は別のようにも見える。グスコについては、区長さんに聞いた感じでは、集落の南半分を指しているように思われた。
 「奄美加計呂間島のノロ祭祀」で紹介されている項目は、①高千穂神社②東のミャー③西のミャー④アブリャ⑤オオガチヤマ⑥インガネク⑦クモデ瀬⑧トビャラ⑨ユンダノツジ⑩シュバヤマ⑪ヘラツカシ⑫公民館⑬診療所⑭忠魂碑⑮ウンミャノクダリ⑯ウーブネ屋敷跡⑰ノロ屋敷⑱津止家⑲テリャガリ⑳ウーブネ屋敷跡㉑神屋敷㉒テリャ屋敷跡㉓墓石㉔墓地㉕サト㉖カネク㉗グスコ㉘ナンゴー㉙ウーサがある。
 以上のうち、①は別ページで紹介します。また、集落のうち、カネク(グスコ)地区も別ページにて紹介。従って、写真はサト地区のみ。


     
海岸沿いの道。整然としています。 石垣も立派。  与路小中学校。何人生徒はいるでしょうね。 
     
門から。裏側の山が④アブリャであり、テラともモーヤとも呼ばれたという。  
     
割と狭い道が多い。   夕日が差してきました。
     
「おはよう。こんにちは。こんばんは。」とある。この標はカネク地区とグスコ地区の境目にあります。 郵便局です。  「ようこそ与路島へ」 とさ。それにしても女の人の顔が何とも言えない。
     
与路地区リサイクル施設。 アシャゲ風な建物。 奥には墓地があります。 
     
墓地全体をトールヤマともいうそうだ(「与路島ノート」ではトゥルヤワと表記)。トールとはテラと同じく墓を意味する。オーモン・コモンというモーヤもあったとのこと。 石積み  北側の山。名前は不明。
     
  たくさん撮影し過ぎて、どこで撮ったのかイマイチ自信がない。 ナンゴ辺りかな。 
     
奄美では今でもよく見るハブ除け棒。左は鍬か? またまたハブ除け棒。  管理人が泊まった民宿みどり。看板が出ていないので探すのが大変。 
     
12時間程しかいませんでしたが、お世話になりました。 翌朝撮影 ナンゴ地区。背後がオードーバルになるのかな?